~故人への祈り~宗教的な儀式としての葬式


a0002_005212_m地域と宗教が違っても故人への思いは全人類共通

 現代の葬儀において、最も意味が失われつつあるのが宗教的なことだ。しかしながら、仏式の葬儀を望む遺族はまだまだ多いし、自由葬であってもアレンジして宗教的な儀式を取り入れることもある。様々な宗教の儀式をミックスすることもある(誤解がないように言っておくが、別に宗教的意味合いが薄れていることを嘆いているワケではない)。

 どうやら、「人が亡くなったら身体から魂や霊が離れていく」、「生まれ変わる(違う世界でのことも含む)」、「復活する(違う世界でのことも含む)」というのが人類共通の考え方のようだ。残された人達は故人の霊や魂が迷わず違う世界に行けるように、無事に生まれ変われるように、違う世界でも幸せでいられるように祈ったのが葬式の起源らしい。仏教ではそれを「供養」というし、神道では「鎮魂」と呼ぶ。キリスト教では人は死んだら神のもとに帰るとされているので、祈りは「祝福」とされている。宗教的に差が無いのなら、それが薄まっていくのは当たり前のようにも思える。根っこは同じなんだから、宗教が背景にある戦争はなくなりそうなものなのだが、いろいろと難しいのだろう。

 宗教的な意味合いでは、葬式は故人のために捧げる祈りとその儀式であり、故人のために行われるものと言えそうだ。故人への祈りが何より重要というのはイノセントで美しい。

 遺族や友人が自分のために祈ってくれることを思い浮かべると、それなりに幸せであったように感じられる。悪くない。現在、生きている身体と頭で考えれば。しかし、死んだ身体と頭ではそれを絶対に感じることはできない。霊魂や魂がそれを感じられるかどうかは…… 自分の場合は取りあえず、生前にいろいろと善行を積んでおこう(死生観が生きる上で、道徳に影響を与えること自体は悪くない。しかし、それを教育の場に持ち込むのはいかがなものか。議論の余地は残されてる)。

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