~人と人のつながり~社会的な儀式としての葬式


故人を通して人がリンクするa0002_000229_m

 従来的な大きな葬式も少なくなった。人数的なスケールで測れば、故人と遺された人の別れという意味も小さくなっている。ただし、家族葬などの小さなお葬式では本当に親しい限られた人達しか参列しないので、濃密な別れの時を過ごせるようだ。本来的な社会性の意味合いは薄まってしまうが、別れを惜しむという意味では家族葬などの方が濃い内容と言えるだろう(ここにミニマムな社会的単位を見出せる。見方を変えれば社会の構成的な意味と、意識の共有性という意味での社会性は高いかもしれない)。

 故人に遺された人というのはまず家族であり、そしてつき合いのあった友人・知人である。人は社会的な存在であり、人と人との関わり合いの中で生きてきたからこそ、親類・縁者以外の人も参列してくれるのだ。そういった意味では、葬式は故人と関わりのあった全ての人にとっての儀式とも考えられる。

 故人の知らなかった一面をつき合いのあった方から聞かされる、すごくイイヤツだったと聞かされる、生前にすごくお世話になったと聞かされる、様々な御恩を返せないうちに亡くなってしまって残念だと聞かされる… 遺された遺族は故人を誇らしげに感じられる。悪くない。現在、生きている身体と頭で考えれば。自分が故人であっても、遺された遺族側であっても悪くない。自分の場合は…… さあ、これからどんどん善行を積んでいこう(生きている身体と頭で考えられる現在、遺族が死人に鞭を打たれる様子を想像すると、辛すぎる。いざという時に備えて、身辺は常に綺麗にしておきたいと同時に思った)。

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